全ての始まりは1979年

ナックの「マイ・シャローナ」が大ヒットし、ドナ・サマーが正に文字通りの「ホット・スタッフ」状態、そしてシックが「グッド・タイムス」で音楽史上最もファンキーなベースラインを生み出した年だ。

この「グッド・タイムス」という曲はそのあまりの格好よさゆえ、それに合わせて喋るように歌うという、今で言うラップの初めてのレコード化のネタとなった。また、翌80年に発表されたクイーンの「アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト」のベースラインはどう聞いてもシックのパクりだ。

この年、当時15才だったオオニシはふとしたきっかけでアメリカでひと夏を過ごすことになる。彼は都内の高校に通うごく普通の高校生だったが、父親が貿易関係の仕事をしていたため、目だけは少なからず海外に向いていた。そこへたまたまアメリカでのホームステイの話が持ち上がり、迷わずロスに飛び立ったのだ。

ロスから更に車で3時間、レイク・エルシノアという湖の畔にある小さな町が、その年オオニシが眩しい夏を過ごした場所だ。迎えてくれたホストファミリーには、17才と19才の姉妹と12才の弟がいて、遠い島国から来た少年をとことん楽しませてやろうと手ぐすねひいて待っていた。

最初の三日間、オオニシは三人の期待を見事に裏切った。まるで達磨のように黙り込み、何を考えているのか全くわからない。ホームステイ前のオリエンテーションで内気な日本人について聞いていなかったら、何がいけないのか真剣に悩み出すところだったろう。

しかし三日めのパーティの晩、状況は突然変わった。まるで耳と口の間に詰まっていた何かが突然外れたかのようにオオニシは喋り出し、置き物の達磨は家族の仲間入りを果たしたのだった。何が起こったのか本人にもわからない。ただ、その晩から、今まで作動しなかった回路にスイッチが入ったようだ。

それから一ヶ月以上もの間、アメリカの自由な空気を吸い、明るい陽射しに照らされ、ラジオから流れる79年ヒットのシャワーを浴びるうち、オオニシは自分の中に眠っていた何かがついに覚醒し、大きく動き出すのを感じたのだった。

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